歴史と文化・文化財

湯築城跡保存・活用運動

長期にわたる『道後湯築城跡を守る県民の会』の運動の甲斐あって湯築城跡は国史跡に指定され、更に日本百名城に選定された。この状況変化を受けて会の名称を『文化財フォーラム愛媛』と変更し、「守る」から「活用する」運動へと転換した。 当ブログはその間…

伊予中世史への招待

近年中世史の研究が急速に進み、中世の見方・捉え方が様変わりしている。伊予においても同様で、中でも伊予守護河野氏の居城であった湯築(ゆづき)城跡の発掘調査の成果は、単に中世城郭の概念を変えたばかりでなく、中世そのものの見方に大きな影響を及ぼ…

笹ヶ峠合戦に関連する地名

「愛媛の山と渓谷」中予編と東・南予編で笹ヶ峠合戦関連地名の幾つかが判ったので、ここに纏める。 1.笹ヶ峠近辺(小松ポリエ・笹ヶ峠ポリエ・寺山ポリエ) 同書により大野ヶ原の笹ヶ峠の場所がほぼ判明した。下図の「小松ポリエと笹ヶ峠を別ける尾根」と…

ほうじが峠の塚および関連する写真

【喫茶室】から転載 土居昌様が2009年 3月 1日(日)に喫茶室に投稿なさった写真を保存するためここに転載し、記録に残します。 なお、下側三枚の写真はフォト蔵を使用し、クリックして拡大できるようにしてあります。 - 塚の写真 塚は昔の尾根道のほうじが峠…

伊予では興居嶋・・我等の家系では奥居嶋の謎?

【談話室ゆづき】から転載 - #6796 伊予では興居嶋・・我等の家系では奥居嶋の謎? 海遊庵主 07/26 08:42 新しくもあり・・古くからでもある・・古事の読みと解釈に再び挑戦(遊行)の義。 検めて、伊予と土佐の国の歴史伝承の謎々をそろそろと解き明かすこ…

三河柳堂

本稿は mino阿弥様 から頂戴致しました。厚く御礼申し上げます。 - 文暦2年(1235)、親鸞帰洛の途次、三河柳堂で帰依した尾張河野九門徒は尾張国葉栗郡本庄郷木瀬(岐阜県岐南町三宅)に親鸞を迎えて教化に浴した。その子孫は、僧坊となり木瀬道場は竹ヶ鼻御坊…

東京に河野通有のゆかりの神社が現存

【談話室ゆづきから転載】 - #5580 東京に河野通有のゆかりの神社が現存 maru阿弥 04/16 17:42 http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/04_taitou/4031.html 上野の近く下谷に、河野通有ゆかりの三島神社が現存している。これは、予章記の記録、江戸太郎の…

『愛媛丸ごと博物館』三津の部

三津の古民家 森家が面白い 《山谷美鈴 記》 - 三津浜は江戸時代から昭和中頃まで商人の町として栄えた所である。戦災に遭わなかったので古い民家が残っている。その中で森家が面白い。ここには文化が一杯詰まっている。 当主の森直樹さんは藤沢在住で元東映…

ゆづき特別号2 「えひめ文化財散歩(2)」

【目 次】 大洲城〔上〕(村上恒夫) 伊豫岡八幡神社の日露戦争絵馬 日露戦争絵馬に見る「戦争と平和」 (取材協力 伊豫岡八幡神社・編集部 渡部一義) 屋島合戦の陰に隠れた戦い 義経の勝利を演出した河野通信 (土居敬之介) 愛媛の古代朝鮮式山城「永納山…

ゆづき特別号1 「えひめ文化財散歩(1)」

本書は各地に残る文化財を通して、地域の歴史・文化を語ることにより、それぞれの地域を紹介することを目的とし、継続的に発行する。この度その第一号として「えひめ文化財散歩(1)」発行の運びとなった。 http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/forum/kankoubutsu…

湯築城跡を案内出来るひとの養成

文化財フォーラム愛媛はかって道後湯築城跡を守る県民の会として、湯築城跡の保存運動を続けた市民運動団体である。決して学術団体でもないし、城郭の専門家の団体でもない。だから会員の中に城に詳しい人、湯築城跡の発掘調査結果を知悉している人はそれほ…

「歴史への思い」

去る10月27日の愛媛新聞「取材最前線」に、今治支社の菊池宏一郎記者が「抜け落ちた思い」と題して、今治城を例に取り、行政の対応に大きな疑問を投げ掛けている。 「今治城の天守閣は偽者で・・・」。今治市民は自嘲気味に話す、その一方で、史実に基づいて…