2004-01-01から1年間の記事一覧

称名寺(鴛小山城)

予陽河野家譜および水里玄義によると、義経の屋島攻撃に先立ち、河野通信は高市源太秀儀、その父図書允俊儀を討ったと記している。秀儀との合戦の場所は鴛小山(おしこやま)城と書かれており、その場所は「伊予中世城館跡」(愛媛県埋蔵文化財調査センター…

Webサイトの発展について

【談話室ゆづきから転載】 - marugenさんの提案 1.本年度の話題ベスト10 2.ゆづき特別号のテーマをそれぞれ更に発展させるため、Web上で展開を図る。それには、テーマごとの関連リンク集を作る。誌上に載らなかった関連する話や、写真等を紹介する等。 …

西條古代文化の里・伊曾乃台地関連リンク集

西条市: http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/forum/link/saijou-isono.html#saijoushi 伊曾乃台地・伊曾乃神社: http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/forum/link/saijou-isono.html#isono 加茂川: http://www2u.biglobe.ne.jp/~hiro-ito/kamo/kamo.htm http://…

ゆづき特別号1 「えひめ文化財散歩(1)」

本書は各地に残る文化財を通して、地域の歴史・文化を語ることにより、それぞれの地域を紹介することを目的とし、継続的に発行する。この度その第一号として「えひめ文化財散歩(1)」発行の運びとなった。 http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/forum/kankoubutsu…

和釘

【談話室ゆづきから転載】 - #3089 和釘名人・白鷹幸伯氏 今城 和釘の名鍛冶白鷹幸伯氏の講演要旨が、今日(2004.12.25)の愛媛新聞文化欄に載っています。薬師寺、錦帯橋、室生寺、松山城、大洲城、などの修理に用いる和釘を作った方で、湯築城跡復元に際して…

来島城探査

【談話室ゆづきから転載】 - 愛媛新聞(2004/12/18)は地方欄で、「埋もれた水軍遺跡探査 愛媛大・村上助教授ら 来島でデータ採取」と題し、米・マイアミ大学のディーン・グッドマン準教授(地球物理学)と愛媛大学法文学部の村上恭通助教授(考古学)が、地中…

伊豫における臨済宗

【談話室ゆづきから転載】 - #2901 臨済宗 美濃林 先日、千葉在住の方で、千葉氏から鎌倉禅、建長寺ゆかりの禅僧、大覚禅師の弟子達が研究テーマとされている人から質問されました。私は、まったくわかりませんのでお教え頂けたらと思います。1.伊予河野一族…

白山神社

【談話室ゆづきから転載】 - #2994 白山 美濃林 白山信仰の平泉寺などは、強大な軍事力を持っていましたが一向一揆で滅びました。白鳥町の白山長滝寺は、奈良時代の公卿八名が来て現在若宮家が継いでいます。美濃は白山神社が多くいたるところにありいずれも…

福成寺(東広島市)

【談話室ゆづきから転載】 #3059 通直と毛利輝元、会談の寺・福成寺 marugen 福成寺(真言宗) 東広島市西条町下三永字西谷 通直(牛福)と毛利輝元が1584年6月、500メートル山上の福成寺にて会談。長宗我部の猛攻に対して、救援を求める。 この時の文書が、…

稲葉塩塵

【談話室ゆづきから転載】 - #3041 稲葉塩塵 美濃林 稲葉鹽塵は、伊予の河野氏彦六通貞と云う。初め州の安国寺に入りて修学す。寛正中伊勢神宮に詣でんとして山中群盗に会い、その数人を撃殺す。是より武名を負い自ら還俗して鹽塵と云う。去りて諸州を巡り当…

安国寺

【談話室ゆづきから転載】 - #2966 夢窓疎石ゆかりの伊予安国寺、1339年・尊氏・通盛 marugen 夢窓疎石の件、あまり知らないのですが、夢窓疎石ゆかりの寺・伊予安国寺が、伊予・林の東、川内則ノ内にあります。 伊予安国寺・1339年。開基は足利尊氏、開山は…

向山古墳

「伊予の石舞台」向山古墳 7世紀初頭、四国最大級 東西70メートル、南北40メートルの長方形 「伊予の石舞台」 とも呼ばれている四国中央市金生町の向山古墳(県指定文化財、7世紀初頭) の発掘調査を進めている同市教委は8日、古墳は東西70メートル…

樽味 高木遺跡(松山市)

大型竪穴住居跡が出土 松山・樽味 高木遺跡 松山市教委は9日、同市樽味4丁目の「樽味高木遺跡」 で、弥生時代後期末から古墳時代初頭にかけての大型の竪穴式住居跡や、古墳時代中・後期に同地区で鍛冶(かじ) が行われたことを示す鉄片が見つかった、と発…

脇屋義助の伊予への脱出ルート

【談話室ゆづきから転載】 - #2981 「無文元選禅師など」より抜粋 美濃林 脇屋義助は北陸より美濃根尾谷にしばらく居り土岐氏との攻防に破れ熱田神宮経由で四国へ逃れ病死。その逃避行には水運が利用されたものと考えられ河野水軍が関わっていたものであろう…

「町並博2004」大賞に輝く

【談話室ゆづきから転載】 - #3088 「町並博2004」大賞に輝く 今城 本年春から秋まで南予一円で開催された「えひめ町並博2004」が、第一回日本イベント大賞で最高位の大賞に選ばれました。選考理由は、パビリオンの無い博覧会というコンセプトや住民…

湯築城と鉄砲

#2963 湯築城の外堀土塁と鉄砲 今城 湯築城の外堀土塁は巾が広く、上部に構造物があったのではないかと言われています。先日の湯築城跡シンポジウムでこれに関連しているかも知れない話がありました。 各講師の報告の後、鉄砲が伝来して城の構造に影響はあっ…

北条氏と美濃

#2945 毛利氏と河野氏と美濃との不思議なつながり marugen 白山神社と臨済宗と土岐一族の信仰面という、おもしろいテーマ頂いていましたね。 私は、白山信仰に縁がないもので、忘れていましたが臨済宗とも絡みますか? おもしろそうです。 河野氏には確かに、…

天徳寺と龍穏寺

#2953 天徳寺・龍穏寺の場所 今城 天徳寺・龍穏寺の場所はYahoo Map で判ります。検索法 Yahoo地図情報(http://map.yahoo.co.jp/)で、 件名:天徳寺 地域:愛媛県 種別:神社・寺院 で検索して下さい。表示された地図の中央に天徳寺があります。 龍穏寺は…

湯築城と横矢の構造

#2957 湯付城は、専守防衛の城か? marugen 天徳寺は通宣さん、そのご子息通直さんは、天徳寺のすみに龍隠寺を造られたとか。 通宣さんは、臨済宗。通直さんは曹洞宗。その通直さんが、京都の山科本願寺へ逗留。連如と一休が仲が良かったように、禅と浄は、交…

五社大明神

【談話室ゆづき投稿記事を転載】#2851 高知・高岡神社、ポセイドンファミリーそろい踏み marugen 伊予水軍の神々を完璧に祭られている、謎の高知・高岡神社、別名・五社大明神。 五大明神は 1 考霊天皇 2 考霊天皇の妻・シキクワシヒメ 3 オオヤマヅミの神と…

古代山城の位置と瀬戸内ルート

【談話室ゆづき投稿記事を転載】#2887 義経移動ルートと古代朝鮮式山城の一致 marugen古代朝鮮式山城と義経移動ルート。唐・新羅連合軍対策の古代山城の配置が、義経瀬戸内海移動ルートとがほとんど一致しており、興味深いものがあります。屋島・永納山・柳…

伊予に残る守興・玉興・玉澄の記憶

【談話室ゆづき投稿記事を転載】#2861 守興・玉興・玉澄と百済・高句麗の難民 marugen百済・高句麗の難民受け入れの時代守興・玉興・玉澄の頃、大変な時代だったこと、ひしひしと感じます。 まず、守興、百済救援にて、唐・新羅の火矢に惨敗。 唐・新羅の火…

湯築城跡を案内出来るひとの養成

文化財フォーラム愛媛はかって道後湯築城跡を守る県民の会として、湯築城跡の保存運動を続けた市民運動団体である。決して学術団体でもないし、城郭の専門家の団体でもない。だから会員の中に城に詳しい人、湯築城跡の発掘調査結果を知悉している人はそれほ…

義経の鎧−大山祇神社宝物館

愛媛新聞 11月15日(月) 総合欄「この一点」赤糸威鎧・大袖付 大山祇神社宝物館(越智郡大三島町) 海戦用に特別にあつらえた別名「八艘飛びの鎧」とも言われる。源平合戦の勝利した記念に奉納したと伝えられる。

交流の第一歩

昨晩の委員会で、「○○と湯築城」と言うような視点の資料を引っさげて切り込んで来て欲しいとの意見があった。双方に共通する話題を中心に据えることが交流を実のあるものとするための鍵と言う意味で、この意見は的を射ていると思う。 交渉ごとの第一歩は相手…

太山寺と三島神社の算額が市文化財に指定

愛媛新聞('04/11/12)地方欄 松山市教委は11日、太山寺(大山寺町)と三島神社(吉藤一丁目)所蔵の「太山寺算額」「三島神社算額」を市文化財(有形民俗文化財)に指定した。今回の指定により、市文化財は73件、有形民俗文化財は6件になった。 松山地…

屋島合戦における千里城の役割

砥部の千里城は源平合戦の時、福良新三郎通豊の城だったという。ここは金毘羅街道から別れて、小田、五十崎へ抜ける道筋に当る。通豊は田内勢を迎え撃って討ち死にし、田内勢は通豊の居館を焼いたと記されているが、この場所なら納得できる。通豊はここで討…

金毘羅古道・桜三里の保存

愛媛新聞 '04/11/11 地方欄 「金毘羅古道・桜三里の保存」 東温市・旧川内町文化財保護審議委員会長 酒井孝 熊野古道を世に顕彰した和歌山大学名誉教授小山靖憲氏の言 1.この桜三里の道は大切にしたい。 2.道は歩かなければ道にならない。 3.隣の町と…

Blogは交流を持続させる有力なツール

交流を一過性に終わらせず、持続させるには、情報の交換と共有が必要条件ではなかろうか。それには情報の参照・引用が自動的に通知されるBlogを使うのが有効であろう。Blogはこれからの情報社会の必須のツールとなると思われる。

平成おこぜ組との交流

平成おこぜ組からの交流申込を受けてかなりの日が経つ。喜んでお受けしたが、交流とは何か、人の交流だけが交流なのか、交流のあり方を明確にすることが一つの課題となる。 交流のスタートラインは情報の交換と共有ではないか。遠隔地の団体との情報交換・共…