称名寺(鴛小山城)

予陽河野家譜および水里玄義によると、義経屋島攻撃に先立ち、河野通信高市源太秀儀、その父図書允俊儀を討ったと記している。秀儀との合戦の場所は鴛小山(おしこやま)城と書かれており、その場所は「伊予中世城館跡」(愛媛県埋蔵文化財調査センターの報告書)によると、伊予市称名寺とその隣の削平地にあったと言う。一方、称名寺高市氏の吾川館跡で、城はその裏山にあったとする説もあるらしく、鴛小山城の場所は判然としないが、いずれにしても、称名寺は通信が高市氏と戦った場所であることに間違いはない。

称名寺伊予市上吾川にあり、山号は臨江山、院号は遍照院、真言宗智山派智積院の末寺)に属す。阿弥陀如来(春日基光の作)を本尊とし、嘉祥3年(850)に宗貞により開基された。元々は上吾川松本の鷹爪にあったと伝えられる。称名寺文書は伊予市有形文化財に指定されており、水琴窟や夏目漱石句碑(『木枯や 冠者の墓撲つ 松落葉』)がある。
 称名寺の素晴らしさはそこからの眺望にある。北には高縄山や奥道後が、正面には興居島・中島・忽那諸島二神島・由利島・屋代島とその奥に広島や山口の山々が見える。さらに左手に見えるのはは大分県の国東半島であろうか。河野氏の居館跡と伝えられる善応寺からの眺望も素晴らしいが、称名寺からの眺望はそれを上回る。その一部を紹介する。
なお、近くの鎌倉神社に源範頼の墓が残っている。

称名寺全景。ちょっとした高台にある。後ろの山々は四国山脈の取っ掛かり。

一番高い山が高縄山。その手前が奥道後展望台のある山。
 坊ちゃんスタジアムや武道館も見える。

興居島

由利島

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