伊豫における臨済宗

【談話室ゆづきから転載】

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#2901 臨済宗  美濃林
先日、千葉在住の方で、千葉氏から鎌倉禅、建長寺ゆかりの禅僧、大覚禅師の弟子達が研究テーマとされている人から質問されました。私は、まったくわかりませんのでお教え頂けたらと思います。1.伊予河野一族の領地のなかで河野氏が「臨済宗」寺院を建立したか?2.また鎌倉か博多から禅僧を招いたか?という質問です。臨済宗河野氏の関わりがどの程度あったのであろうかという質問のように思います。質問者は「臨済宗大覚寺派の展開」というテーマで建長寺でも講演されておられます。臨済宗大覚寺派の全国的展開ということで各地の寺院を調べておられるようですが四国地区は空白となっています。なにか情報がありましたらお教えいただきたいと思います。

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#2902 河野郷は建長寺だらけ  marugen
美濃様、伊予の河野氏臨済宗だらけです。
特に、河野郷周辺(北条市)には建長寺ゆかりの禅僧、大覚禅師の弟子達が
たくさん来ています。
通有は、元冦のおり建長寺から博多に派遣されていた大覚禅師(蘭渓道隆)No1の弟子・南浦紹明や大暁禅師に師事。鎌倉・京都・博多ゆかりの臨済宗だらけです。
  
河野郷周辺(北条市)は、まるで建長寺のよう。裏には、鎌倉アルプスならぬ高縄アルプスがひかえ、海の右手には、江ノ島ならぬ鹿島があり、これで、大仏でもあろうものなら鎌倉、顔負けです。とにかく、建長寺だらけですよ。

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#2905 通盛と臨済宗との繋がり  今城
善応寺、長福寺、観念寺について調べて見ました。
  
好成山 善応寺  臨済宗東福寺派 準別格地
【所在地】愛媛県北条市善応寺甲428
【本尊】釋迦如来
【開山】正堂士顕
【開基】河野対馬守通盛
  
東海山 長福寺  臨済宗妙心寺派 準別格地
【所在地】愛媛県東予市北条655
【本尊】釈迦牟尼仏
【開山】雲心善洞禅師
【開基】河野通有

観念寺  臨済宗東福寺派
【所在地】東予市上市乙1017番地
1240年創建

いずれも現在は建長寺派ではないようです。
  
次に、通盛が建長寺長老南山禅師云々の伝承は、通盛が六波羅で敗れた後、鎌倉でなく九州に逃れたと言う説があり、今のところどちらとも確定出来ていないことを念頭に置いて考える必要があると思います。
  
marugen さんの指摘のように、伊豫の臨済宗の寺院が大覚禅師に繋がると
すると、通盛と南山禅師との関係は直接でなく、ワンクッション入れて考え
る必要があるのかも知れません。この件は通盛がどこに居たのかに関する研
究の進展を期待しなければならないようですが、愛媛には臨済宗が多いです
ね。東京や神戸近郊は臨済宗の寺が少ないのと対照的です。宇和島妙心寺
派だらけです。松山や北条市はどうでしょうか。

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#2906 土佐の臨済宗の寺「吸江寺」について  お栄
臨済宗の名前から、高知市五台山の吸江寺を思いだしました。
「吸江寺」で検索すると下記の3ヶ所も表示されました。
高知市内東に位置する五台山の西南にあります。長宗我部氏及び山内氏ゆかりの寺でもあります。
宗教による繋がりなどもあったのではないかと思い、ここにアップしましたが・・・・
関係ないかも知れませんが・・
  
臨済宗 妙心寺派 普光山 吸江寺
臨済宗 妙心寺派 臨川山 吸江禅寺 (愛知県:木曽川
臨済宗妙心寺派 普光山 吸江寺 (東京・渋谷区東4-10-33 )
  
高知に関しては下記の通りです。
下記のHPより検索記載
http://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/07ki05.htm
【寺院名】五台山 吸江寺(きゅうこうじ)
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【宗派名】臨済宗妙心寺派 二等三
【別名】
【住所】高知県高知市吸江122
【本尊】如意輪観世音菩薩
【開山】夢窓国師
【開基】
【由緒】吸江寺は、夢窓国師が文保2年(1318)に北条高時の権政を逃れて土佐へ隠棲、吸江庵吸江十景のひとつという草舎をこの地五台山に建て、庵を結んだのが始まりである。夢窓国師は、門下1万3千人とも伝えられ、天皇家から七朝帝師の尊称をもって敬われただけでなく、広く世の人々から師として崇められた禅師であった。吸江寺本尊は如意輪観世音菩薩で、臨済宗妙心寺派に属する。その後、初代土佐藩主・山内一豊(1545?-1605)によって湘南が招かれて中興され、爾来、幾多の星霜が重ねられるが、法燈は絶え間なく続き、多くの人々から厚い信仰を受けて今日に至っている。同寺において、江戸時代の儒者山崎闇斎(1618-82)が修業僧侶として学んでいたことは有名である。
【寺宝】地蔵菩薩像(重文)/足利義持扁額/夢窓国師扁額/絶海扁額/吸江寺古文書/達磨像/その他

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#2907 河野郷は建長寺、大応派の名僧だらけ  marugen
時代順にいきます。
  
河野通有の寺・長福寺
寺の縁起では雲心善洞ですが、通有より100年以上後の方なので無理が有り、寺の別伝が自然。
勧請開山、南山志雲(通盛のビンチを建長寺で救った和尚)
実際の開山は南山志雲の法弟・正堂士顕。正堂士顕は、後・通盛と南山志雲の関係で、通盛に招かれ河野郷・善応寺を開山(河野氏の寺では重要な人物)。
  
河野通盛の寺・善応寺
前記の正堂士顕・開山(通盛の恩人・建長寺・南山志雲に報いるため法弟・正堂士顕が開山)。しかし、南山志雲は京都の東福寺で修行したため東福寺派でもある
また、法弟・正堂士顕も東福寺派東福寺派の南山志雲が鎌倉・建長寺に居た時、通盛がお世話になる。それゆえ、善応寺は建長寺・大応寺派ではなく、東福寺派である。
このあたり、ちょとややこしい。
  
河野通朝の寺・大通寺
この寺は完全に鎌倉・建長寺、大応派であった。現在は曹洞宗
開山・大暁禅師(美濃の出身)。大暁禅師は、鎌倉・建長寺の名僧、南浦紹明の弟子。ちなみに、南浦紹明の師が建長寺・開山の蘭渓道隆(大覚禅師)
  
通盛の息子の寺は、建長寺、大応派直系の寺であった。
このあたり、通盛の鎌倉・建長寺への思い入れが見てとれる。
  
この大暁禅師を慕い、河野郷へ大応派の名僧が次々と現れる。
大暁禅師の跡を大虫宋岑
大虫宋岑の跡を月庵宋光
  
とにかく、河野郷は建長寺、大応派の名僧だらけです。

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#2908 南山志雲は南山士雲に訂正  marugen
南山志雲は南山士雲に訂正させて頂きます。
この南山士雲の師は、京都・東福寺開山の円爾弁円、
円爾弁円は建長寺・開山の蘭渓道隆とも交流あり。

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#2916 建長寺情報の御礼  下総介
美濃林さんから紹介いただきました千葉の下総介です。私は鎌倉建長寺の旧末寺群と大覚禅師の弟子(大覚派)について、研究をすすめています。河野氏も鎌倉御家人ですから、建長寺との関わりがありそうでしたが皆様からの投稿でよくわかりました。ありがとうございます。
ちなみに情報をお伝えします。南山士雲は、円覚寺東福寺の住持にもなっています。円覚寺には南山の持仏や頂相なども残されています。建長寺には江戸期の幕府医師・河野道仙歴代の墓所が残っています。この河野氏は伊予河野氏の流れでしょうか?ぜひご教示願います。これからもよろしくお願いします。

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#2920 南山士雲の貴重なお話、ありがとうございます  marugen
下総介さま、南山士雲のお話ありがとうございます。
南山士雲は、河野氏にとって大事な存在ですが、伊予には南山士雲の情報があまりありません。法弟・正堂士顕が、善応寺を開山されたということで、
通盛と南山士雲の関係を伝えておりますし、通盛の善恵という名の名付け親とも聞いております。
善応寺の善は、その善恵から来ているものと思いますし、善応寺の応は、大覚禅師の弟子、大応国師南浦紹明)の応から来ているのかと考えたりもしています。
大応国師には、河野通有が博多出陣の折、参禅、お世話になったとの事で、
後、大応国師の弟子・美濃出身の大暁禅師が河野郷・風早、大通寺を開山されました。
  
河野氏には建長寺とのかかわりがあちらこちらに、伝えられていますが、まだ、はっきりした姿が見えません。
  
南山士雲の貴重なお話、ありがとうございました。これからも、建長寺との関連、アドバイスよろしくお願い致します。

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#3079 幕府奥医師河野氏は伊予河野氏か  下総介
ご無沙汰しています。下総介でございます。鎌倉建長寺を調査していましたら、江戸時代の幕府奥医師河野氏の墓石が歴代ございました。寛政重修諸家譜は確認していませんが、伊予河野氏の流れでしょうか?