安国寺

【談話室ゆづきから転載】

                                                                                                                    • -

#2966 夢窓疎石ゆかりの伊予安国寺、1339年・尊氏・通盛  marugen
 夢窓疎石の件、あまり知らないのですが、夢窓疎石ゆかりの寺・伊予安国寺が、伊予・林の東、川内則ノ内にあります。
 伊予安国寺・1339年。開基は足利尊氏、開山は夢窓疎石の法嗣・普明妙葩、建立は、守護、河野通盛
 この安国寺、全国に建立され、尊氏の弟、直義・主導で行われたと聞きます。1338年から1345年にかけ、全国規模で建立されたようです。
 天徳寺建立の2年前、通盛は、湯付城と同時に大寺を建立、規模は善応寺なみであったと言われています。
そして、伊予安国寺の近くには、鎌倉・最明寺殿ゆかりの伝説が残されており、鎌倉堂という地名が残っています。

                                                                                                                    • -

#3040 稲葉塩塵と安国寺と林  marugen
 稲葉塩塵は、稲葉一鉄の祖父にあたり安芸国安国寺の僧侶であったが、寛政の頃に伊勢神宮参拝の途中に盗賊を殺してしまったので、還俗して塩塵と改名……と、池田商工会で表示されていますが
http://www.gifushoko.or.jp/homepage/hibigawa/ikeda/ikrekishi.html
稲葉塩塵は、安芸国安国寺で、臨済禅をやっておられましたか?
瀬戸の対岸、伊予国安国寺も臨済禅ですし、伊予国安国寺のすぐ近くに、一遍ゆかりの林があります。

                                                                                                                    • -

#3041 稲葉塩塵  美濃林
 稲葉鹽塵は、伊予の河野氏彦六通貞と云う。初め?州の安国寺に入りて修学す。寛正中伊勢神宮に詣でんとして山中群盗に会い、その数人を撃殺す。是より武名を負い自ら還俗して鹽塵と云う。去りて諸州を巡り当国に来る。土岐成頼その有名を聞きて客遇す。鹽塵稲葉氏を稱し稲葉備中守と云い又刑部少輔通富と云う。成頼その妹を嫁せしめ池田の小寺山城に居らしむ。その子通則備中守右京亮、通雄、忠通、一徳、通俊、光朝白雲、常通、通光、通友等あり。通則、土岐政房、政頼父子に仕へて小寺山に在り。その子通勝、通房、通明、豊通、通廣、良通あり。又女子四人あり、斉藤山城守道三、玉井若狭守、岩手弾正忠長誠、古田肥前守に嫁せり。以上「揖斐郡志」より*良通(稲葉一鉄)。大永5年8月2日牧田合戦にて父通則及び兄5人討死のため稲葉家を継ぐ。稲葉白雲斎(俗云千人切り一説白雲之男林宗兵衛也)。美濃の安国寺で八代守護土岐成頼が舟田の乱で敗北後剃髪。稲葉白雲の位牌在り又、畑より墓碑発掘さる。鹽塵がどちらの安国寺で修学したのか不明です。