湯築城と横矢の構造

#2957 湯付城は、専守防衛の城か?  marugen
 天徳寺は通宣さん、そのご子息通直さんは、天徳寺のすみに龍隠寺を造られたとか。
 通宣さんは、臨済宗。通直さんは曹洞宗。その通直さんが、京都の山科本願寺へ逗留。連如と一休が仲が良かったように、禅と浄は、交流があったのか。その、山科本願寺には、横矢の構えが多々造られているよし。通直さん、堀の構えには感心されたようですが、横矢の構えは、あまり感心されなかったのか?

 城郭研究家から、K教授への山科本願寺説反論にこの、横矢があげられ山科本願寺の影響を否定されていたが、これは、どういうことか。

 通直は、山科本願寺の何を吸収したのか?
 通直、穏やかな龍という名前だけあって、城造りにも、専守防衛に徹したのか?無益な殺生は嫌ったのか?横矢をなぜに、取り入れなかったのか?

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#2958 Re:2957 円形の湯築城には死角無し  今城
 城郭フォーラムの方々が初めて湯築城を訪れた時、最初に出た言葉は、湯築城は円形なので死角が無い」でした。つまり全周にわたって横矢の構えになっていると言うことですね。山科本願寺の横矢の考えを、弾正少弼通直は湯築城の地勢に合わせて工夫し、造り上げたと見ては間違いでしょうか。
 円形構造の城は確かもう一つあり、駿河の田中城だったと思います。