腰越状の「百姓」とは

【談話室ゆづきから転載】

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#3116 腰越状の「百姓」とは  今城

有名な腰越状に「「被服仕土民百姓等。」と言う文句があるのだそうですが、ここに書かれている「百姓」とはどういう人を指すのでしょうか。
百姓がひゃくしょう、即ち農民の意味になったのは江戸時代かその少し前からで、早くても室町時代のはずです。それ以前は「ひゃくせい」で、もろもろの姓(かばね)を有する公民の意味です。平たく言えば people が近いでしょう。
「土民百姓」と二つを対比する格好になっていますが、土民が土着の住民の意味なら、百姓はどういう人を意味するのでしょうか。

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#3121 Re:3118/3120 再び「百姓」の意味  今城

百姓の意味が時代によって変化し、農民の意味に変わったのはそんなに古いことではなく、早くても室町時代と聞いています。これについては網野先生が詳しく論じていらっしゃいます。百姓に元から農民の意味があったのではありません。

広辞苑には確かに#3120にお書きになったように述べられています。しかし、別の辞書には、

ひゃくせい【百姓】
 〔古代において、もろもろの姓(かばね)を有する公民の意〕一般人民。庶民。公民。 ひゃくしょう。

と記されています。もろもろの姓とは、源平藤橘以外の姓、即ちその他の姓という意味と推測します。文武百官の百も同じくもろもろの意味です。
ですから本来は 百姓⊃農民 であって、百姓=農民 になったのは、義経より後の時代と思われ、「被服仕土民百姓等。」と言う文言の意味に興味を感じたのでした。ここで土民と百姓を並べたのは、土民とは姓を持たぬ人、百姓とは姓を持つ人の意味かと考えました。
百姓を農民と取るなら、土民と相当部分で重なりますので、並べて書くのはおかしいのではないでしょうか。#3118の例文でも百姓と作人を区別しています。作人とは姓を持たぬ人であるなら、姓を持つ人の下に持たぬ人がいたことを示し、当時の社会構造を垣間見る感がします。

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#3126 腰越状の「被服仕土民百姓等」について  今城
佐藤弘弥氏監修の「源義経大辞典」と言うブログがあります。このブログは「源義経の短い生涯をふり返りながらさまざまなことを思索するブログ」とのサブタイトルが付いています。(http://blog.goo.ne.jp/yositune1189 参照)
この中に「腰越状の再検討 1」と題する一項があり、『被服仕土民百姓等』の解釈について論じています。その論点には触れませんが、この中で土民について「その土地に土着している土地の者を指すわけですが、これは身分として
氏素性のはっきりしない人物を意味し」と記しています。百姓については解釈を記していませんが、土民百姓と対比する形ですので、土民を上記のように解釈するなら、百姓は氏素性のはっきりした人物となります。
全体の意味は、「氏素性のはっきりした者にもしない者にも服仕して貰った」と言う意味でしょうか。これなら言葉の本来の意味とも合致します。
百姓の意味の変遷は社会構造の変化に起因しているはずです。百からも姓からも農民の意味は出て来ません。にも拘わらず百姓が何故農民を意味するようになったのか、そしてそれはいつ頃からか、興味あるテーマです。なお、中国も韓国も百姓と言うことばは、今も本来の意味で使われるそうで、農民の意味で使うのは日本だけだそうです。